2004/04 NO.11
ぴっころニュース
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くらしをつつむ住まいの設計
赤木裕子住宅設計室
〒300-1152 稲敷郡阿見町荒川本郷1343-85
やさしさとゆとりのステージ
赤木住研 赤木裕子住宅設計室工事部
TEL 029-842-3027 FAX 029-842-6601

帰るのが楽しみになる家
 最近とてもうれしいメールをいただきました。
 『○月24日に引っ越してからというもの快適な毎日を過ごしています。図面上ではわからなかった、建築士さんの配慮が随所にあることが実感できました。食堂兼居間と2階の子供部屋とのコミュニケーションのとりやすさとか、照明の配置の絶妙さ、機能的なキッチンなど・・・「帰るのが楽しみになる家」すね。おかげさまで私のライフスタイル(?)も大きく変わりそうです。』
 いつも忙しいご夫婦で、打合せが夜の9時から・・ということもしばしばでした。
 帰るのが楽しみ…私の住まいづくりに対する思いが認められたようで、胸がいっぱいになりました。
普通のくらし
 12年前のことです。実母の元気がないので、姉二人と母の4人で旅行をしようと計画しました。ところが出発の前日になって、母は行きたくないとのこと。
 無理強いもできないので、三姉妹だけで行き、帰りに実家に寄ったのです。母の容態は想像以上におもわしくなく、「お風呂に入るのが怖いので滅多に入らない」と言う母の悪臭に涙があふれました。
 そこで私は母と一緒にお風呂に入ることにしました。さほど広くもない浴室ですが、手すりもなく寒々としていて…自分の実家なのに悲しく思いました。
 今では『浴室に手すり』は当然の時代になりました。高齢者が当たり前に生活できる時代がそこまで来ていると信じています。

阿見町 O邸
平成16年1月完成
O邸リビング
一部吹抜です。
右手はPCコーナー
のんびりと過ごせる部屋(後編)
阿見町 河村和彦様
 何度か見積もりと打ち合わせを繰り返し、9月始めに契約・工事が始まった。赤木さんの熱意ある監督と、協力工務店などの着実な施工により無事11月に完成した。
 工事が終わって間もなく5年、一日の大部分をこの「のんびりと過ごせる部屋」で、さわらの壁と唐松の床に囲まれ、夫婦と犬一匹とでゆったりと過ごしている幸せな自分に気がつくこの頃である。
 1級建築士赤木裕子さんの小さな看板が、私の散歩道にある。前から気にはなっていたが、1級建築士さんに頼んだら法外な費用がかかると思いこみ、いつもしりごみをしていた。今回は意を決して事務所を訪ねた。5年前の7月始めの頃であった。
 赤木さんは1級建築士というよりも、きさくな元気の良いおばさんで、介護の経験もあるという。
 しかし、建物を造るに当たっては、相当なこだわりを持っている様子が読み取れた。これならわが人生最後の改築も、納得できるものになるのではと直感し、施工をお願いすることにした。


ちょっとひとこと テーマ:親をおもう
頑張らない勇気
 先日、介護の映画を見てきました。映画の中で繰り広げられる家族の葛藤を見ていて、私自身、義父の介護をしていた時の事が昨日の事のように思い出されました。脊椎管狭窄症という病気が原因で歩くことが困難になり、それから他の病気も併発して身体の悪化とともに痴呆の症状が出てきました。被害妄想・幻覚・幻聴・徘徊・暴言・に加え便遊び。もう私にはどうしたらいいのか、義父にあたり、家族にあたり・・・まさに修羅場と化したのです。そんな時、訪問診療をお願いしていた先生に訪問看護のサービスを勧められました。始めは拒否していた私でしたが、″聞いてもらえることの嬉しさ″で、ペラペラといろんな話しをしていたのです。さすがプロだと思いました。それからは、まず私自身の心のバリアを取り除き、「ひとりで抱えこまないでいいんだ」と、楽な気持ちで義父や家族に接したところ、不思議と義父の痴呆の症状は少し落ち着いていたのです。こちらのもっていき方しだいなんだと強く感じました。CMでもあるとおり、「頑張り過ぎない勇気」そして、困った時は「助けて」といえる素直な気持ちが大事だと思います。
(佐藤)

『頑張り過ぎない・周りに協力を要請する。』簡単なようで実はたいへん難しいことですよね。

こころの介護
 母の介護について、私はその時期を誤っていました。母は、大変気丈な人で口癖は「人に頼らない」でした。こんな頑固なところに家族は困ることがありました。
 体のことについても、妻がいろいろ心配して病院に行く事や気をつける事などを話しても耳を貸さないことがしばしばで、まわりの者は「これでいいか」とあきらめの気持ちになってしまったのです。
 月日の変化と共に母の体は悪くなる一方で、大丈夫の言葉とは裏腹に、外でタバコを吸って倒れたり、家の中の移動に這うような状態の時もありました。この頃から悪くなるスピードが早まり、体ばかりでなくボケも進んでしまいました。病院の世話にもなりましたが回復する事はなく「家に帰りたい」という本人の意思は叶えられませんでした。
 介護が叫ばれている昨今ですが、私は介護以前のことが、出来なかったことを悔やんでいます。家族のあり方について考えが浅かったと思います。もっと心を大事にしていれば本人の希望を叶えて上げられたかもしれません。 
(栗山)

『どの時点で助け舟を出すか?』これも又難しいことです。本人のやる気を奪ってしまうのでは?・・・

石下町 I邸
〜中庭のある家です〜
平成15年12月完成
オーダーキッチンは
工夫がいっぱい♪
パパが…
 パパが身体障害者になっちゃった…
 それは、あまりにも突然やってきた最大で最悪な出来事…
 昨年9月母の誕生日前日、事故の知らせを受け病院へと向かいました。「脊椎損傷による下半身麻痺」。そう告げられた時、冷静に話を聞けている自分を不思議に思いながら、母の肩を抱いていたことを覚えています…助かって当然、治って当然と思っていた私達の願いは無残にも裏切られ、父の足はピクリともせず、命も危険…。自分に起きている現実とは思えませんでした。
 あれから半年…周りの人に助けられながら、少しは強くなった母と私の元に、リハビリを終え父が帰って来ます。楽しみでもあり、そして不安でもあります。これから、どう生活が始まっていくのか…?
 赤木設計プロデュースの住宅改修も着々と進んでいます。次回は、たくさん報告できそうです! 
(根本)

障害者と暮らすことは特別なことではなく、普通のこと、そう思えるようになると良いと思います。


スタッフ     ◆あかぎゆうこ  ◆さとうけいこ  ◆ねもとゆきよ  ◆くりやまとしひこ